さてろぐ

子どもと過ごす日々を綴っています。

心の断捨離に効く、種田山頭火の俳句。

心の断捨離って何でしょうか。

断捨離とは無意識のうちに自分を縛っている「不要な思い込み」を手放すことだと考えています。

その心の断捨離にがんがん響いてくる俳句をご紹介したいと思います。

 

種田山頭火とは 

種田山頭火は、禅僧として行乞の旅をしながら俳句を詠み歩いた放浪の俳人です。季語や五・七・五という俳句の約束事に縛られない「自由律俳句」を詠みました。

家を捨て、妻子を捨て、旅と酒に溺れる破天荒な生涯を送った山頭火。

自然と一体になり、自分を偽らず、自由に想いを詠い続けた山頭火の俳句は、とても心にじんわりと響いてきます。

その中でも私が迷ったときに読む俳句と行乞記を2つご紹介します。

どうしようもないわたしが歩いている

どうしようもないわたしが歩いている

いったい、自分は何のために生まれてきたのだろうか。何をしようとしているのか。
人の情けだけにすがりきって、毎日を暮らしてゆく自分。そんなわたしが情けなくなりながら、でも、どうしようもなく、きょうも歩いてゆく。
ただひとつ。歩くこと。ひたすら歩くこと。それだけに集中している。
これからも、とぼとぼ、ぶつぶつ、歩きつづけるだろう。きっと、動くことができなくなるまで、旅をつづける。

引用:石寒太「山頭火」

どうしようもないわたしが歩いている‥まさに人生そのものだと思います。

どうしようもなくダメな自分、 みっともない自分、惨めな自分、そんな自分を如何にカッコよくスマートに見せるか、失敗せずにやり遂げられるか、そんなことばかり考えて疲れ果ててしまう。

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そんな迷路から抜け出すためには、まずどうしようもない自分そのままで歩くこと。

そのままの自分で、もがいて転んで歩くしかないんです。張りぼての自分を磨いても何もならない、ことに気づかされます。

ころり寝ころべば青空

ころり寝ころべば青空

無一物。なんと自由で気軽な身だろう。何もいらない。疲れたら、ただある身を野に横たえて、空を仰ぐ。放浪の一日にとって、心から憩いの時である。
視野には青い空。ひろがる空。限りない青。そこを流れる雲。放浪の身であればこそ、味わえる充実感が、ここにはある。
むずかしく考えることは、もうやめよう。放下してしまえば、人生の重い荷物は、何もなくなる。旅は、そんな心をいざなう。

引用:石寒太「山頭火」

放下とは投げ捨てる、放り出す、捨て切ることです。

山頭火のようにどうしようもない自分をもてあましながらも、ひたすら歩き続けることで、無限にひろがる青空を仰ぐことができます。

でもそれは、ゴールではありません。旅の途中でも目線を上げれば空を仰ぐことはできるのです。

ついゴールにこだわってしまいますが、今この瞬間にも幸せを感じることができるということに気づかされる句です。

そして「むずかしく考えることは、もうやめよう。」これに尽きます。

自分でむずかしくしていることに気づく、心の断捨離はそこから始まります。